2008年07月11日
二条木屋町の美しい花と心の話
祇園祭の鉾建てが始まり、今日の四条の橋は、ずいぶんにぎやかな1日だった。
町が祭り気分一色になるなかで、
まだ、雨を気にしていた6月末。
木屋町二条の「ホテルフジタ」の南向いの角の花壇の青く・背が高く・美しい花が並んで咲いていた。
私は、しばし足を止めて見とれていた。
翌日、再びこの花見たさにバイクで通りがかったら、真ん中の1本が折れていた。
とても残念で、何か添え木になるものがないか見回したが、きれいに掃除されていて何も落ちていない、「フジタホテル」に行って、何か持って来ようか?割り箸の要らないものとか・・・とも考えたが、再び仕事場に行く時間が迫っていたので、仕事に行った。
なぜか、その花のことが気になって、翌日再び前を通ると、誰かが、黒いテープで治していた。
それから1週間どころか、祇園祭がどんどん計画通りに行事が進んで、鉾建てまできてしまったが、
その花は、いまでも美しく咲いている。
こんなに生命力があるのも珍しいが、やはり、テープで治してくださった方が、大切に水遣りなどの世話もしてくださっているのだろう。
私のいる「キエフ」のビヤガーデンに4本の楓の木の鉢植えがある。
草木を大切にと、加藤智恵子代表が、私の娘の名前の付いた鉢植えを昨年買ってくださった。
昨年は、日が当たりすぎて、紅葉する前に、かなりの葉が落ちた。
今年は、時に日陰に入れたり、特に大きくなったのは、大きな植木鉢に植え替えたり、水を全体にかけて湿気を葉っぱにも与えたり、とにかく今年は、今の所順調に成長している。知らずと、店内の一部日の当たる花壇の花を植え替えたり、花瓶に生けていただく花も、手入れして、最後の1輪でも、トイレの鏡の前に生けたり。
皆、生きているんだ。京都は、水も空気もきれいになって、街角にもゴミが落ちてない。
皆が、いっしょに生きている事を、日常の生活の中で、自然と感じている。
街中の、花壇や、植木を見ながら、そうなんだ・・・と一人思う こやまあきゆきでした。
町が祭り気分一色になるなかで、
まだ、雨を気にしていた6月末。
木屋町二条の「ホテルフジタ」の南向いの角の花壇の青く・背が高く・美しい花が並んで咲いていた。
私は、しばし足を止めて見とれていた。
翌日、再びこの花見たさにバイクで通りがかったら、真ん中の1本が折れていた。
とても残念で、何か添え木になるものがないか見回したが、きれいに掃除されていて何も落ちていない、「フジタホテル」に行って、何か持って来ようか?割り箸の要らないものとか・・・とも考えたが、再び仕事場に行く時間が迫っていたので、仕事に行った。
なぜか、その花のことが気になって、翌日再び前を通ると、誰かが、黒いテープで治していた。
それから1週間どころか、祇園祭がどんどん計画通りに行事が進んで、鉾建てまできてしまったが、
その花は、いまでも美しく咲いている。
こんなに生命力があるのも珍しいが、やはり、テープで治してくださった方が、大切に水遣りなどの世話もしてくださっているのだろう。
私のいる「キエフ」のビヤガーデンに4本の楓の木の鉢植えがある。
草木を大切にと、加藤智恵子代表が、私の娘の名前の付いた鉢植えを昨年買ってくださった。
昨年は、日が当たりすぎて、紅葉する前に、かなりの葉が落ちた。
今年は、時に日陰に入れたり、特に大きくなったのは、大きな植木鉢に植え替えたり、水を全体にかけて湿気を葉っぱにも与えたり、とにかく今年は、今の所順調に成長している。知らずと、店内の一部日の当たる花壇の花を植え替えたり、花瓶に生けていただく花も、手入れして、最後の1輪でも、トイレの鏡の前に生けたり。
皆、生きているんだ。京都は、水も空気もきれいになって、街角にもゴミが落ちてない。
皆が、いっしょに生きている事を、日常の生活の中で、自然と感じている。
街中の、花壇や、植木を見ながら、そうなんだ・・・と一人思う こやまあきゆきでした。
Posted by こやまあきゆき at 00:34 │ comments:(0) │ 京都散策