京つう

日記/くらし/一般  |左京区

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上七軒がお茶屋になったのは、天正15年(1587年)のあの北野大茶会が催された時の休憩場所として、天満宮再建の時に余った木材で七軒の茶店をつくったのに始まる。京都のお茶屋で最も古い歴史がここに始まった。御手洗団子が出されたのがきっかけで、上七軒の紋に使われている。不思議な事にこの団子。京都の五花街の紋章で、後の祇園甲部は八町の意味で○八つが輪になっているし、祇園東は、やはり八坂の団子を意味する○が八つ。宮川町は諸説あるが、元々祇園祭りの鴨川を宮川と呼んで三体のお神輿を清める事から、宮川町の名が付いている事を思うと、3つの○は、やはり三体の御神体を意味するのでは、と私は思っている。先斗町だけ千鳥紋だが、紋章としては新しい。「お茶屋」の名の通り、お茶と団子から始まっているようだ。ただ違うのは、「花より団子」という言葉があるが、花街の「花」は、団子よりも多くの男衆を魅了したのは間違いない。もっとも私には「高嶺の花」だが。


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Posted by こやまあきゆき  at 00:26   │  comments:(0)  │   京都の花街



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