京つう

日記/くらし/一般  |左京区

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Posted by 京つう運営事務局  at    │  


先斗町の歌舞練場のすぐ南側の2階に、この当たりで働く人たちの隠れ家的たまり場があった。先斗町なのに、¥2000位しかなくてもとにかく足を運べる空間だった。そこでいろいろな裏話に花が咲いた。店じまいされてとても残念だったが、やはり「ブーズK]とか「ぐ」さんところで昔馴染みと出会う。花街には、そんな憩いの空間があることを、あの時初めて教えられた。


Posted by こやまあきゆき  at 02:23   │  comments:(0)  │   京都の花街


今日の話し、閉店で店も閉めて雑用をしていたら、シャッターの声。続いて電話の声。「あ、先生!今日は終わりました」「いいからシャッターちょっと開けて!」と馴染みの先生の声。「ベッピンさん見せたげるから」・・・「はい!」シャッターを開けると。ドキッ!そこに素敵な女性が立っていた。「宮川町の○○どす」それは夢ではなかった。・・・本当にたった今ブログを書いている時の訪問者。


Posted by こやまあきゆき  at 03:09   │  comments:(0)  │   京都の花街


キエフはソビエト連邦時代のお店。当然中央アジアの国々の料理がある。そんな料理にくわしいカップルが、よく来てくださり、楽しく語り合った。ところがそれがなんと、お姉さんと実の弟。宮川町の人気○○。さすが貫禄もあり、知識もあり、明るく素敵な方だと思っていたが、私服でお話していたので、最初わからなかった。今では、キエフ・ロシアちゅうおうアジアに興味を持つ仲間である。


Posted by こやまあきゆき  at 03:01   │  comments:(0)  │   京都の花街


下の子の出産に、下鴨神社の南の森産婦人科でいっしょに入院・出産した方がこの町内の方だったので、家内と後日遊びに行った。そんなご近所感覚もこの辺に住んでいると感じる。何故かというと私の実家は陶器屋。五条京阪の東側の仕出屋の「近幸さん」は祖母の実家。有る意味宮川町は、お得意さんな訳です。


Posted by こやまあきゆき  at 02:53   │  comments:(0)  │   京都の花街


宮川町を歩いていて感じる事は、歩いている方が皆美人ぞろい。そんな話しは何度も聞いたが、確かに。皆さん「東山女子学院・宮川町歌舞練場」で学んで、発表会に行くわけだが、元々『阿国』さんが踊ったのは、団栗端から松原の橋あたり。それだけに、歌舞伎の伝統も受け継いでいます。昔から芝居の役者さんなどの遊び場だったので、役者さんとのパイプが太い。今でもその辺のお茶屋さんから出て来そう。


Posted by こやまあきゆき  at 02:43   │  comments:(0)  │   京都の花街


宮川町は、南座の南側の団栗橋を東に渡って大和大路の1筋手前を南に真っ直ぐ両側に実に綺麗にお茶屋さんが並んでいる。祇園や先斗町がかなり観光化されるなか、有る意味で最もお茶屋の雰囲気が、昔ながらのイメージで残っている花街だと思う。それだけにこのままの雰囲気を残してほしいものだ。この道を私は何度歩いたかわからない。実は、私のいるロシアレストラン「キエフ」の専属のロシア楽団用に、昨年まで宮川町から大和大路に抜ける一角にあるマンションを、年間通しで借りていた。管理は私の担当。したがって楽団がいない時は、私が郵便他の確認の為に、宮川町を通り抜けていた。挨拶してくれる舞妓さんもいて、ちょっと地元気分。有る意味ここも自分が町内会で住んでいる感じの親しみを感じる町だ。ところで、祇園祭りの時に3体の御神体を鴨川で御清めする。その為にこの当たりの川を特別に『宮川』と読んだので、この一帯の花街に『宮川町』の名が付いた。御神体が3つある為に、宮川町の家紋は「3つの和」になっている。


Posted by こやまあきゆき  at 02:15   │  comments:(0)  │   京都の花街


普段仕事で祇園にいるせいか、お誘いの電話で、舞妓さんの名前が入っていることがしばしばある。○○も来るし、とか。いっしょでも舞妓さんは、グレープフルーツジュースを飲んでいるだけ。でも外ではいろいろ話が弾む。素顔の舞妓さんもずいぶん見たし、新橋の「やまと」とか、すれ違う事も多い。時にキエフの下には、「オクタニ」さんもある。しかし金曜日の新橋は、「辰巳神社」の近くにニセ舞妓がたくさん出没する。外国人が写真を撮って喜んでいる。舞妓変身のお店と3方すべてよし。


Posted by こやまあきゆき  at 01:09   │  comments:(0)  │   京都の花街


陶芸家仲間と久しぶりに再会しいたのも祇園甲部のお茶屋さんだった。福井県でいっしょに登り窯を作った面々。近藤高弘・猪飼祐一・木村隆・市野雅彦・小山晶之の5人。山田晶と備前の延原君は来れなかった。若手陶芸集団「チェラミスタ」を結成し活動した200名近い仲間達。その有志7名が越前の登り窯再現に取り組んだ。なぜかお茶屋はくつろげるが、考えてみれば自分達のお金で正式に来たのは初めてかもしれない。大抵スポンサーに連れられてくるから。本来ここに座ってる身分でもないし。でも、普通入れない店でも、親しければ気楽にも利用できる。ありがたやありがたや。


Posted by こやまあきゆき  at 01:00   │  comments:(0)  │   京都の花街


祇園に出入りするようになると、「都をどり」はもちろん、様々な京舞の発表会に行く機会が出てくる。祇園歌舞練場は、やっぱり華やかな舞台だ。この「加藤登紀子さんのほろ酔いコンサート」の舞台にもなっている歌舞練場には、家内のお父さんが自宅で飼って育てた鯉がたくさん泳いでいる。「一力」の故中島さんと仲のよかったお父さんは、祇園観光協会に個人で加盟している。バックアップする企業が名前を連ねているなかで、個人会員は数人しかいなかった。それはお父さんの自慢かもしれないが、何かの事情で鯉が少なくなった時に、お父さんが譲ったようだ。しばらくは歌舞練場にエサをやりにいっておられた。鯉がかわいいのか?かわいい人がいるのか?私と結婚前の家内も心配していた。都をどりの京舞井上流。私の縁続きの人に名取がいる。ご主人も邦楽の家元。やはり芸の世界は、奥が深い。そんなこんなで、舞の発表会にも時々顔を出した。都をどりの六兵衛さんのお皿もたまっていった。


Posted by こやまあきゆき  at 00:45   │  comments:(0)  │   京都の花街


学生時代の後輩が、祇園生まれだったお陰で20才で出入りするようになった私は、知らなかったいろいろな祇園の素顔に接する事が出来た。彼女の祖母が、お茶屋さんを経営。お母さんは割烹屋さんを経営。とはいえ隣接していた。自宅は白川の方にあったが、祇園祭りの時には、彼女の浴衣を女子部員は皆借りて、全員浴衣姿で出かけた。といっても、どうも彼女は夏着物風。着こなし仕草すべてがなれているからか美しい。驚いたのは彼女の家に皆で戻ってから。皆お腹すいたはりまっしゃろ、座って待ってて、(さすがにおくれやす、まではつけなかったが、京都弁のイントネーション。そして、タスキがけで、袖をまくると台所で料理の準備を始めた。「すご~い」男女を問わず、そのテキパキした動きに一同ただただ感嘆の声。15人位いたので、「何か手伝いないか~」と鼻の下伸ばして台所に入ろうとすると、「男はんは、台所にはいらんといて、てつどうてくれはるんやったら、○○さんと○○さんてつどうて!」と、強く、台所に入るのん拒否された。指名された2人の女子部員も、「切ったりするのも手際よすぎて手伝う事あらへん」と、運びやにてっしていた。この時の手料理のおいしかった事。祇園祭りが来ると今も思い出す。


Posted by こやまあきゆき  at 00:34   │  comments:(0)  │   京都の花街


私が初めて「お茶屋」さんという、京都の華やかな世界にデヴューしたのは、お酒が飲める20歳の大学3回生の時だった。とは言ってもこれが実は、裏口入学。大学時代1回生のときは、中学以来の合唱部の関係で、「京都産業大学グリークラブ」の団員になっていたので、早朝から夜遅くまでの練習の日々。合唱連名の吉村先生の指導。橋本部長の叱咤激励の声。遊ぶ暇もなかった。ドイツ語学科で第二外国語がフランス語。ついに勉強の遅れを取り戻す為に、2回生の時に美人1回生の後輩に誘われて、いっしょに「ドイツ語研究会」に入った。しかし倶楽部は、3人以外全員男性。なんとなく殺伐とした中で、ひたすらNHK講座の練習。もっと楽しく勉強やろうよ!といろんなことやりだしたら、翌年新入部員は、ほとんど女の子ばっかりに、気が付けば半分女子部員。そんな中に祇園生まれの実に明るく、礼儀正しい女の子がいた。変えるバスもいっしょなので、いつしか祇園で途中下車。特別実費で飲ませていただいた。おなかがすいた時に取る料理の方が高かった。


Posted by こやまあきゆき  at 00:15   │  comments:(0)  │   京都の花街