京つう

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Posted by 京つう運営事務局  at    │  


安くては美味しいお店とかが立ち並ぶ西陣京極は、千本中立売りから東すぐ
この路地上がってすぐの所にある可愛い謎の看板が

猫が化けてでます 絵が可愛いから不思議

今日も路地に沢山猫が

魚を出す店が多いのは確か

昔は、旦那衆の遊び場としても賑やかだった町
不思議看板が多い散策隠れスポット


Posted by こやまあきゆき  at 20:57   │  comments:(0)  │   京都の花街


京都で現役唯一京都出身の舞妓さん。「久乃」さんが、先斗町で3月始めに芸妓になられます。
花街のシキタリで、今の時期だけのかんざしを付けてごあいさつに来てくださいました。

襟替は、舞妓さんのときと襟の色が変わる為にそう呼ばれており、晴れの姿の御披露目があります。
3月9日に「キエフ」でもお祝いの席が、ご用意されていますが、通常このような場に立ち会えるのは、ごく限られた関係者のみ。すでに多くの参加ご希望のお問い合わせがきております。

京の花街は、ここ数年大きく変わりました。
特定の旦那衆が姿を消していく中で、様々な芸を受け継ぐ厳しい修行の成果が、「をどり」の舞台で披露され、その様々な伝統を受け継ぐ伝統文化の継承者として、様々な場で一般の方が観劇する舞台の演者として私のような普通の庶民にも身近な存在になってきました。

花街が、雑貨や料理店・和の喫茶店からイタリアン・フレンチ・・・外国料理を楽しむ場にも変身したことを、歓迎する声・嘆く声賛否両論ありますが、20才から祇園裏口入学した私としては、昔のままだったら生涯接する機会のなかった世界が、今貴重な日本の伝統文化と伝統芸の宝庫としての京の花街文化が、身近になった事はいいことだと思います。

ただ、町屋レストランはいいのですが、町並み・街の情緒を破壊するようなお店の出現には失望してしまいます。そのような文化破壊だけは、創造・創作の名の破壊だと思っています。

京都出身のたった1人の舞妓さん。これからも応援していこうと思います。
きっとすばらしい伝統文化の語り部になってくださるものと思っています。


Posted by こやまあきゆき  at 23:11   │  comments:(0)  │   京都の花街


2007年06月28日

先斗町の賑わい

今、京都の先斗町に昼頃散策する若者が急増している。安くて入れるお店が目白押し。木屋町や祇園にも甘党やギャラリー・雑貨店がたくさんできた。昨日、京大ミュージアムから寺町・木屋町・先斗町を通って四条まで散策したが。いいお店がいっぱい。ちなみに今日は、夷川・や問屋町を散策。やっぱり京都は、歩きです。


Posted by こやまあきゆき  at 22:20   │  comments:(0)  │   京都の花街


「京つう」ブログに本物の花街舞妓ブログが誕生した。
おまけに「しげ茂」の森田智子さん。実に素敵な方である。
私は、お茶屋さんに遊びに行ける身分でもないが、森田ファミリーは、皆さん実に素敵なファミリーである。最近は、芸事を身につける手段として、「舞妓・芸子」を、職業として選択する人が増えてきた。
特に森田ファミリーは、一人ひとり実に独立心旺盛。
これからの、活躍楽しみです。


Posted by こやまあきゆき  at 02:28   │  comments:(0)  │   京都の花街


2007年04月30日

鴨川床開き

ついに床開きです。
今日の楽しみのひtろつです。
南は五条から北は二条までいっせいに開きます。また暑い京都の始まりです。
行き場に迷ったら、向かいの「キエフ」に来てください。屋上からすべて見渡せます。
絶景です。6月からは、¥3500のドリンクプランもありますが、
まだ営業していません。ちなみに仲良しの「菊水」「東華彩館」のおかげで、脱出組みも
ガンバッテ協力していました。


Posted by こやまあきゆき  at 23:30   │  comments:(1)  │   京都の花街


今日の先斗町の歌舞練場の前には、先斗町のおさあさん方の笑顔を満ち溢れていた。
明日開幕の「鴨川をどり」を一足早く内見〉した皆さん。
花街としては、すっかり観光名所となって、料理が楽しめる、一見さんOKの街になったが、
格式の高さが、この街を支えている。祇園甲部に次いで名前が知られた先斗町。
床開きが、この街の夏の顔になって定着した。
予約なしでも散策してください。飛び込みOKのお店がいっぱいあります。
京都一安いを自認するお店もあります。
行き場がなくなったら、四条寄りなら「ぐ」の大塚さんに、三条よりなら「ナカニシ」なんに聞いてください。楽しい時間を!


Posted by こやまあきゆき  at 23:24   │  comments:(0)  │   京都の花街


祇園は、乙部にならずにほとんどが高級クラブやバーがひしめく大人の社交場になった。東の並びの一角にも大物女優のお店とか、元大臣の娘さんがオーナーとか、とんでもない人脈がひしめいている。それだけに一見さんお断りにしておかねばならない理由もある。最上階までだけの専用エレベーターとか、桁違いのお金が動くお店も少なくない。あるお店はお茶屋のお店の内装がすべてアートしていた。あの人は今?常に時が激しく動いてるのを最も強く感じる場所であるに違いない。


Posted by こやまあきゆき  at 02:14   │  comments:(0)  │   京都の花街


祇園祭りというと、山鉾巡行以上に本来の御神体であるお神輿さんの巡行とならんで、花傘巡行が有名。残念ながら、昨年鷺舞の巡行などが予算等の関係で中止されたが、恒例行事が花街の踊りの奉納。白ずくめの小町をどりが祇園東の奉納するをどり。実にリズミカルな奉納だ。祇園祭や節分など、花街の舞妓さんらを身近に出来る機会は実に多い。やはりこれが京都の魅力の一つ。日頃の技芸を堪能いたしましょう。


Posted by こやまあきゆき  at 02:04   │  comments:(0)  │   京都の花街


花街というと華やかなをどりの舞台が見もの。甲部が「都をどり」「温習会」・先斗町が「鴨川をどり」「水明会」・宮川町が「京おどり」・上七軒が「北野をどり」「寿会」そして祇園東が「祇園をどり」を11月に開く。場所は、我々にもっとも馴染み深い「祇園会館」。普段は、名作映画2~3本立て。なんかをやっているので、入ったこともあるだろう。一服のお茶をいただいて、つかの間の花街体験。ところで、花街には、かならず神社が付き物。やはり心の支えになってきたのだろうか。


Posted by こやまあきゆき  at 01:53   │  comments:(0)  │   京都の花街


私の知る限りにおいては、基本的には、ウナギの寝床の京都風の一般の家とそんなに変わらない。ただ、一部堀コタツになっていたり、和風のカウンターのようになっているとこもあるが、基本的には、座敷のままもふつうのようだ。東は、私にとって、一番最後の初体験した五花町になったが、中はオシャレに改装してあった。気が付けば五花街すべてに入らせていただいたわけだが、特に望んだわけでもなく、古くから京都で暮らす人たちのある種の社交場になっている。また、普通に京都の小学校・中学校に行っているので、特にこの地域と重なる陶磁器業者は、学校が同じというケースで出入りしている場合もある。一見さんお断りだが、友達は当然OKなので、以外と普通に利用している地元民も少なくないのだ。


Posted by こやまあきゆき  at 01:36   │  comments:(0)  │   京都の花街


京都に生まれて、祇園東の名は五花街合同の踊りの舞台などもあって、京都人なら知っているが、どこにあるのかよく知らない人が多い。祇園にあった700軒近いお茶屋さんは、8町にまたがっていたが、2分割された。当然甲部・乙部となるわけだが、甲部がなぜ町並みが残っているのか関係者に聞いたところ、説明もいろいろあって、皆さんご自分の立場もあって説明もまちまち。私なりになるほどと思っているのは、甲部は、組合組織となり、お茶屋も組合からお借りする形を取ったのでお茶屋の町並みが残ったが、当初乙部に分割された地域は、祇園東として残る東の一角と甲部に組み込まれた新橋周辺以外は、個人所有となった為に、次々今風の飲食街に変わってしまった。結局「甲部」と「東」に分割されて今日にたるというのである。中末吉町の観亀神社の周辺に現在は11軒のみとなった。


Posted by こやまあきゆき  at 01:24   │  comments:(0)  │   京都の花街


上七軒がお茶屋になったのは、天正15年(1587年)のあの北野大茶会が催された時の休憩場所として、天満宮再建の時に余った木材で七軒の茶店をつくったのに始まる。京都のお茶屋で最も古い歴史がここに始まった。御手洗団子が出されたのがきっかけで、上七軒の紋に使われている。不思議な事にこの団子。京都の五花街の紋章で、後の祇園甲部は八町の意味で○八つが輪になっているし、祇園東は、やはり八坂の団子を意味する○が八つ。宮川町は諸説あるが、元々祇園祭りの鴨川を宮川と呼んで三体のお神輿を清める事から、宮川町の名が付いている事を思うと、3つの○は、やはり三体の御神体を意味するのでは、と私は思っている。先斗町だけ千鳥紋だが、紋章としては新しい。「お茶屋」の名の通り、お茶と団子から始まっているようだ。ただ違うのは、「花より団子」という言葉があるが、花街の「花」は、団子よりも多くの男衆を魅了したのは間違いない。もっとも私には「高嶺の花」だが。


Posted by こやまあきゆき  at 00:26   │  comments:(0)  │   京都の花街


北野天満宮は、私達夫婦にとっては、特別の神社である。子供の頃から (幼稚園~高校)までいっしょだった大の親友の松ちゃんが、天神さんの神主になっている。結婚式の世話も彼がしてくれたので、国宝の天満宮本殿で式を挙げた。しかも梅満開の時に。記念の酒盃(陶芸家でもある私が、2人の名前を入れたものを、2つしっかり結んで三宝に乗せ、井戸の前に特別に植える儀式が行われた。)その場所の前で、梅花祭の時にお茶席が設けられる。昨年は、「キエフ御一行様」で、お客様も引き連れて参拝し、お茶席でお茶をいただいた。このお席でご接待して下さるのが、他でもない上七軒の綺麗どころである。あつかましくもたくさん写真を取らしていただいたが、いずれがアヤメかカキツバタ。いや、いずれが白梅か紅梅か。とにかく、庶民でミーハーの私としては、ささやかな喜びに浸ったのである。私はブログに原則として写真を入れない。それはやはりその席に参加して感じてください。若い女性にも人気ですから。


Posted by こやまあきゆき  at 23:48   │  comments:(0)  │   京都の花街


上七軒は、夏になると「ビヤガーデン」が開かれる。とはいえ実は、普段お世話になっているお客様へのサービスの一環。初めての方でも入れるのだが、本来は、お世話になっているお返しのようだ。ある日ズブロッカを「キエフ」で飲んだお客様が、2人でタクシーでここに駆けつけた。偶然芸子さんで、「キエフ」でズブロッカを飲まれた方が居られたそうで、大いに噺が盛り上がって最高に楽しかったと、再び「キエフ」にタクシーで報告に戻ってきてくださった。お二人ともズブロッカのお陰だ!とおっしゃっていたが、きっと何を飲んでいても幸せだったに違いない。その証拠に今度はお座敷に行くと予約してこられたとか。・・・いいきっかけができましたねえ。これはズブロッカのお陰かも。


Posted by こやまあきゆき  at 01:04   │  comments:(0)  │   京都の花街


私がまだまだ駆け出しの陶芸家だった頃、いっしょに「チェラミスタ」でがんばった仲間といっしょに、西陣の旦那衆によくお茶屋さんに連れて行っていただいた。名前は出せないが、その頃の人気NO.1といわれた方がいつも来てくださいました。(ただし、No.1の基準は知りません。とにかくすばらしい方でした。旦那衆の憧れだったようで、呼んでくださるのはいつも同じ方。何度かお茶屋さんやお食事でごいっしょしましたが、ほとんど完璧な素敵な着物姿の実に素敵な女性でした。お茶屋さんも綺麗にしておられたので、ちょっと驚きでした。五花街合同のポスターにも大きく紹介されていました。でも実物の身のこなし・・・・・とにかく最高でした。


Posted by こやまあきゆき  at 01:59   │  comments:(0)  │   京都の花街


京都の花街が四条大橋周辺に4つ集まっているのに対し、もう一つの「上七軒」だけが離れてるのは、
もともと北野に持ち寄った大茶会など、天神さんゆかりのある種の社交場になっていた。天神さんの修復に使う木材で、茶店が出来たのが花街の前身。ところで、阿国さんが踊ったのは、五条(今の松原)・三条・北野天満宮へと移動した。結局その周辺にお茶屋が出来ていったのは、共通する。遊郭が赤線など女性との性的社交場の歴史を歩んだのに対して、花街は伝統的に技芸や社交場として、特別の席として、様々な役割を果たしてきた事がわかる。舞踊や歌舞伎・邦楽の面で果たしてきた役割。特別の信頼できる社交場として大切なお客様をもてなしたり、大事な話しが安心して出来るとか、これまでだいぶお茶屋さんに行く機会に恵まれたが、やはりそこには特別の信頼関係のもてる人しか連れて行かない特別の場を共有できる喜びがある。いっしょに行った友人達は、やはり最も信頼できる人たちだし、だから特別の場に連れて行ける関係である証しのようなものを感じる。


Posted by こやまあきゆき  at 01:46   │  comments:(0)  │   京都の花街


ウオッカバー「ナカニシ」は言うまでもなく、ロシアレストラン「キエフ」で長年表の顔だったナカニシさんのお店。まだ6年位なので、ここでは、新参者かもしれないが祇園では、けっこう顔。その大先輩のお店以外にもこの筋には、たくさんの友人や先輩のお店がある。もともとのお茶屋さんとかも。ここ数年新しいお店もいっぱいできて、お茶屋さんの町並みに変化が出てきているのが心配。三条・四条どちらから行っても時代を超越した素敵な空間なので、大切に雰囲気をのこしてほしい。この辺の床からは、ほとんど向かいのキエフが見える。当然夏にこちらも屋上から見渡すと二条から五条の床が見渡せるから。京都の夏の風物詩。花街と床と2つの魅力を持ったこの世界は、やはり素敵だ。


Posted by こやまあきゆき  at 03:19   │  comments:(0)  │   京都の花街


先斗町を四条から入る。四条の入り口には、ポントはポルトガル語で先端とか書いてある。左のいろはの上で昔宴会したのもいつの事だったか?鰻の匂い昔豆乳ソフト売ってたような記憶。どんどん行くと「ぐ」の文字。大塚さんの店。昔木屋町の方にあった時一人で食べていたら女性の団体が来ておごってくれた。なぜか先斗町界隈の人も含めて、「ぐ」さんとこでは、いろんな女性と出会う。突然化粧品サンプルもらったり。裏方さんと出会えるのも魅力。素顔のお姉さんとおしゃべりできる事も。でも皆ちょっとお疲れのよう。きっと大塚さんの持つ雰囲気が、安らぎの空間になっているのだろう。


Posted by こやまあきゆき  at 03:10   │  comments:(0)  │   京都の花街


よくお会いする先斗町の方で、登紀子さんのファンの方がおられる。お会いすると突然話に参加してこられて登紀子さんとの想い出話しをされるのだが、先斗町の歌舞練場も登紀子さんの想い出の場所でもある。ただ困るのは、そんな時近くにおられるお連れさんが、必ずやきもち焼かれることだ。おかげで、飲んでいたお店を退散した事も1度ではない。先斗町にも歴史があるが、そこで生きる人々にも歴史がある。様々な思いが交錯する。私の陶芸の教え子の一人もこの街の生まれだ。今もお店をやっておられる。お母さんの為に下駄箱の上に飾る花器を作りたいといって作った花器が黒いハイヒールだった。下駄箱にハイヒールが入ったことがなかったと。あまりによく出来ていたので言葉を失った。様々な想い。様々な人生。


Posted by こやまあきゆき  at 02:58   │  comments:(0)  │   京都の花街


私がまだ「京都国際学生の家」という、京大の南の方の留学生寮に住んでいた時、友人の紹介で、京都市の外国向けの観光用広報映画を撮影するので、2人外国人を紹介してほしいと頼まれた。リクエストは予想通り欧米系の男性の留学生。そこで、親友のスロベニアのイゴールと向かいの部屋のオランダ人アートとギリシャ系キプロス人のニコスに声をかけた。するとアートはちょうど鶴屋吉信のCMのモデルになったばかりで、(お坊さんのかっこで両手にゆずのお菓子を差し出すCM)ポスターなども貼ってあったので、イゴールとニコスの線で行こうと先方にも連絡を入れた。撮影は先斗町のお茶屋さんとその周辺で撮られることに。イゴールは理学部で数理生態学で、ニコスは建築で、どちらも博士号を取った優秀な留学生だが、実は「くいしんぼうの会」のレギュラーにも後になった。撮影当日お茶屋さんのシーンなど、いっしょについていったので、遠巻きに見学しょいておると、老舗の酒房での撮影で突然私も参加してほしいと監督に突然いわれた。驚いた顔をしたものの内心参加したかったので、現場のお店に入っていくと、なんてことはない、主役の彼らの後ろで背中越しに飲んでいる男性客の一人。つまり背中だけに出演。ひとり勝手に「男は背中で演技が出来なきゃ」なんて慰めてるまもなく「カーット!」あっという間の出来事だった。今でも先斗町を歩いていると雨なんか降らして彼ら2人が歩いているシーンとか思い出すが、その広報映画は、海外でしか見られないとのこと。ちなみに父が若かりし頃、富本憲吉先生が、我が家の登り窯を焼くシーンで、父が薪を投げ込む役だった。この広報映画を、中近東の調査中に日本大使館の招待の晩餐会の後映画を見せるというので見ていたら自分がアップで出てきて驚いたと父は言っていたが、間違っても私の背中はぼんやりかすんでいる程度だろう。


Posted by こやまあきゆき  at 02:47   │  comments:(0)  │   京都の花街